里沼(SATO-NUMA)
「祈り」「実り」「守り」の沼が磨き上げた館林の沼辺文化
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「実り」の沼
多々良沼
「実り」は、人間が生きるための生業(なりわい)です。
沼からは魚や植物など自然の恵みが得られます。
「たたら」伝説による沼と周辺台地の自然とのかかわり方。沼の水を農業用水として利用した先人たちの努力。
多々良沼は人が大胆に自然と向き合ってきた歴史を感じることができます。
再生いただくと「実りの沼」が育んだ麦畑の動画をご視聴いただけます
巨人伝説や製鉄伝説にちなむ「たたら」
多々良沼とその沼辺に細長く連なる松林。そこには「たたら」の地名の由来となった古い時代の製鉄の痕跡と、500年前の開拓者大谷休泊による植林と用水堀開削の歴史が刻まれている。
多々良沼は、人々の暮らしを支える生業の場としての「里沼」へと拓かれてきた。
大谷休泊の墓
内陸古砂丘
多々良沼遺跡
多々良沼遺跡(カナクソ)
多々良沼鉄滓
大谷休泊の開発(植林・休泊堀)による穀倉地帯
沼からの用水によって潤された田畑は、米と麦との二毛作が可能となり、江戸時代には館林藩から将軍家へ小麦粉が献上されたように、館林は麦の産地となった。
明治期になると麦を生かした近代製粉業や醸造業が興り、“麦都”となった館林では、麦を原料とした麦落雁やうどん、醤油が名産品となった。「里沼」による水と大地の恵みは、多々良沼を「実りの沼」へと進化させ、現代の館林の食品産業の興隆へと結実している。
多々良沼
麦畑
麦畑
麦落雁
館林のうどん
生業・文化をもたらした沼
「実りの沼」は漁労の場としても人々の暮らしを支え、鯰の天ぷらや鯉の洗い、鮒の甘露煮など沼の幸を活かした個性ある食文化をもたらした。
長年培われてきた様々な味わいは、里人たちの貴重なたんぱく源となり、もてなしや晴れの日の料理として今も暮らしに根付いている。
日向舟
沼の漁具
川魚料理
封内経界図誌-堀工
封内経界図誌-成島
多々良沼の今
市西北部に位置し、沼越しに見える富士山や夕陽のスポットがある。
周囲には「彫刻の小径」や群馬県立館林美術館鑑賞もあり、年間を通して釣り客やウォーキング愛好者が訪れる。
05
名勝地
多々良沼
館林市西北部の沼で、平安時代に行われた蹈鞴 製鉄から名付けられたという。中世期に大谷休泊 により沼 から用水が開削 され、潤 された台地では米麦の二毛作が盛んとなり、肥沃 な穀倉地帯を育んだ。この「実りの沼」からとれる鯰 や鰻 などの川魚は貴重なたんぱく源となった。
06
遺跡
多々良沼遺跡 (カナクソ)
多々良沼北岸にある遺跡で製鉄生産址として伝わる。現在の日向漁港 の沼辺では、冬に水位が下がると、「カナクソ(金糞)」と呼ばれる製鉄の時に出された鉱滓 を見つけることができる。(※野鳥観察棟内に展示物有)
07
地質鉱物
内陸古砂丘
利根川 が形成した自然堤防の砂層で、館林市南西部から多々良沼東岸まで続く。砂鉄を豊富に含み、多々良沼の伝説につながる製鉄時の砂鉄や薪 などの資源供給地点となった。古砂丘斜面の松沼町遺跡 からは古代の炭焼窯跡 が発見された。
08
群馬県史跡
大谷休泊の墓
中世の開拓者大谷休泊 の墓。戦国時代の館林城主長尾顕長 の招きに応じて領内に住み、渡良瀬川 からの用水(上休泊堀)と多々良沼からの用水(下休泊堀)を引いて、周辺の田畑を潤 した。多々良沼周辺の松林は大谷休泊の植林事業によるものである。
09
市無形民俗
上三林のささら
館林市南西部上三林町 に伝わる民俗芸能。多々良沼からの用水により二毛作が盛んとなった地域で、江戸中期から五穀豊穣 と厄病神追払 の祭事として行われてきた。町内の雷電神社 祭礼に合せて棒術と獅子舞を奉納しながら、地区内を巡行する。
10
県重文
封内経界図誌
安政 2年(1855)に館林城主秋元志朝 によって作成された領内52か村の彩色村絵図。村ごとに土地利用が色分けされ、江戸時代の沼の形が一目でわかる。河川や田畑、集落の範囲も描かれ、人々の暮らしと沼との関わりを知ることができる。
11
有形民俗
沼の漁具と日向舟
館林市内の沼では、舟に乗って集団で行う追い込み漁のほか、ハズ漁・ヤス漁などが行われ、様々な漁具が生まれた。沼により使用する舟も形が違い、多々良沼の舟は、冬に凍結した氷から舟べりを保護するために一枚板を取り付けており「日向舟」と呼ばれている。
12
無形民俗
川魚料理
沼が点在する館林地域では、昔から鯰・鯉・鮒・鰻 などの川魚料理 が食されてきた。館林のもてなし文化の特徴として、川魚料理をふるまうことがある。中でも鯰が有名で、天ぷらや小麦粉をあえて揚げたタタキアゲは、この地域の代表する料理となっている。
40
名勝地
近藤沼(ホリアゲタ)
館林市の南西部にある周囲約 2.5 ㎞の沼で、明治時代に造成された櫛の歯状の水田と水路が存在した。 沼底の土を掘り上げて造ったことから「ホリアゲタ」(別名キロコボリ)と呼ばれ、多々良沼同様「実りの沼」として暮らしを支えてきた。 沼辺に建つ「吉田丑五郎翁之碑」がその歴史を伝え、周辺の農地に名残の水路を見ることができる。
多々良沼へのアクセス
「祈り」「実り」「守り」の沼
「祈り」の沼
茂林寺沼
「祈り」は、人間の「心」をあらわします。
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「実り」の沼
多々良沼
「実り」は、人間が生きるための生業です。
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「守り」の沼
城沼
「守り」は、人が生きるための防衛と町や村を作るための英知の結晶です。
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