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大谷休泊の墓
農業生産力向上に貢献した大谷休泊
多野郡平井(現・群馬県藤岡市)城主上杉憲政の臣とされ、館林城主長尾顕長の招きを受け、成島に移り住みました。荒山小左衛門(金山城主由良成繁の臣)らの協力を得て、上休泊堀(群馬県太田市内ケ島町より明和町大輪に通じる用水)、独力で下休泊堀(多々良沼より明和町斗合田に通ずる用水)を開削しました。また、防風林として、太田金山より150万本の松を移植するなど大谷休泊に関する数々の功績が称えられています。
住所
〒374-0057 群馬県館林市北成島町693
駐車場
無料
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